宇土を支えるTAKARA
宇土市文化課学芸員 芥川博士さん
「宇土は『何もない地域』なのではなく、歴史的なものが各地に魅力が分散している。だからこそ、『宇土と言えばコレ』と絞れていないだけ。
その歴史と魅力ある宇土の遺構を伝えていきたい」と宇土市教育委員会文化課で学芸員を務める芥川博士さんは熱く語る。
第8回目の朝食会「宇土城跡で朝飯を」が開かれる「宇土城跡」で案内役を務める。
朝食会の会場となる「宇土城」は、市西部・轟(とどろき)地区の標高約40㍍の「西岡台」と呼ばれる丘に築かれた山城だ。13~16世紀に一帯を治めていた宇土氏の城で、国の史跡も指定されている。
山頂には、曲輪(くるわ)と呼ばれる本丸部分があり、その広さから「千畳敷」と呼ばれている。
千畳敷には、発掘調査で建物の柱跡など出土し、城門・虎口(こぐち)などが復元されている。 また、東西に約700メートル、南北に約350メートルある丘のほぼ全域が城域であったと考えられている。
転機は大学院進学時
1985年生まれの芥川さんは関東で生まれ育ち、大学まで東京で過ごした。父・清二さんが宇土市走潟町出身だ。中学時代にエジプトなどの考古学に興味を持ち、古代のミステリーに魅了されていた。高校では、日本文化コースを選択。大学では史学科に所属した。
さらに、考古学を究めようと大学院進学を希望。そこで、清二さんの「熊本で就職してほしい」という願いを受け入れた。「関東と九州では、遺跡発掘時の〝年代のものさし〟となる地層が全く違うんです。大学院に進むなら九州内しかない」と福岡大大学院で考古学を専攻。古墳時代を専門している。
大学院修了後は、2年間、熊本市の非常勤職員として熊本駅新幹線口周辺の遺跡発掘などに携わった。そこで「募集は10年に1人あるかないか」という宇土市の学芸員に応募。見事通過し、念願の学芸員となった。
当時の心境を「ようやく、父との約束を果たせてホッとした。しかも、父の故郷でもある大本命の宇土市の学芸員になれた。宇土でダメなら、関東に戻ることも考えていました」と振り返る。
宇土の魅力を味わって
考古学の魅力について、芥川さんは「ロマンの正体を、物的証拠を基に繙(ひもと)けること。人の動きや生活といった営みを復元でき、モノに歴史を語らせることができる。出土した土器の割れ方を見ても、わざと割ったものなのかが推測できます」と目が輝く。
また、「昔の人が見ていた景色を想像できるのが何より楽しい。実際は、発掘されたものが何のものなのかが分からなくて、頭を抱えていることの方が多いですけどね」と笑う。
宇土市の学芸員の仕事について、芥川さんは「研究を市と市民に還元したい。宇土では、市内でしか採れない馬門石(まかどいし)を使った石棺を大阪まで運ぶ実験航海が行われています。文化財とまちづくりが融合した、全国的にも有名な取り組み。私も将来は、市の文化財を生かしたまちづくりをやってみたい」と語る。
今回の宇土城跡での朝食会について、「宇土城跡の近くには、小西行長が築いた『近世宇土城』という別の城がある。近距離で二つの城があるというのは宇土でしか見ることのできない風景。おいしい宇土の朝食とともに、城跡が並ぶ宇土のすごさも味わってほしい」と笑顔で話していた。
芥川さんの宇土市のここがすごい
2.轟水源と轟泉水道
3.馬門石